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坊門信清 ぼうもん のぶきよ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

坊門信清 ぼうもん-のぶきよ

1159-1216 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
平治(へいじ)元年生まれ。父は藤原信隆。母は藤原通基(みちもと)の娘。姉の七条院が生んだ後鳥羽(ごとば)天皇の側近。建仁(けんにん)3年権(ごんの)大納言,のち内大臣,正二位にすすむ。太秦(うずまさ)内府,坊門内府とよばれた。娘に坊門局(後鳥羽上皇の後宮),西八条禅尼(源実朝(さねとも)の室)などがおり,朝廷・幕府の双方にかかわりをもって権勢をえる。建保(けんぽ)4年3月14日死去。58歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

坊門信清

没年:建保4.3.14(1216.4.2)
生年:平治1(1159)
鎌倉前期の公卿。内大臣正二位。京都の太秦に山荘があったことから太秦内府とも号した。修理大夫(贈左大臣)信隆と大蔵卿藤原通基の娘との子。姉の七条院とその所生の後鳥羽天皇の側近。後鳥羽の外戚として権勢を振るい,家柄が低いにもかかわらず建暦1(1211)年に内大臣に任じられた。子の忠信,輔平ら一門は後鳥羽の近臣として隆盛を極め,娘には後鳥羽の妾となって道助法親王,頼仁親王らを生んだ 西御方(坊門局)や,鎌倉幕府の将軍源実朝の妻となった西八条殿がおり,その関係で信清は鎌倉幕府と朝廷との交渉役を務めた。

(秋山喜代子)

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世界大百科事典 第2版の解説

ぼうもんのぶきよ【坊門信清】

1159‐1216(平治1‐建保4)
平安末~鎌倉初期の公卿。坊門流藤原氏の祖信隆の子。母は藤原通基の女。1179年(治承3)正五位下,87年(文治3)右少将,のち左衛門督,権大納言,内大臣を歴任。娘が後鳥羽後宮(坊門局),順徳後宮(位子),将軍源実朝室となり,朝廷と幕府の両方と深いかかわりをもって権勢を得た。1215年(建保3)2月出家。太秦内府(うずまさないふ)と号した。【清田 善樹】

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