坊門信清 (ぼうもんのぶきよ)
生没年:1159-1216(平治1-建保4)
平安末~鎌倉初期の公卿。坊門流藤原氏の祖信隆の子。母は藤原通基の女。1179年(治承3)正五位下,87年(文治3)右少将,のち左衛門督,権大納言,内大臣を歴任。娘が後鳥羽後宮(坊門局),順徳後宮(位子),将軍源実朝室となり,朝廷と幕府の両方と深いかかわりをもって権勢を得た。1215年(建保3)2月出家。太秦内府(うずまさないふ)と号した。
執筆者:清田 善樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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坊門信清 ぼうもん-のぶきよ
1159-1216 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
平治(へいじ)元年生まれ。父は藤原信隆。母は藤原通基(みちもと)の娘。姉の七条院が生んだ後鳥羽(ごとば)天皇の側近。建仁(けんにん)3年権(ごんの)大納言,のち内大臣,正二位にすすむ。太秦(うずまさ)内府,坊門内府とよばれた。娘に坊門局(後鳥羽上皇の後宮),西八条禅尼(源実朝(さねとも)の室)などがおり,朝廷・幕府の双方にかかわりをもって権勢をえる。建保(けんぽ)4年3月14日死去。58歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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