日本歴史地名大系 「坊領村」の解説
坊領村
ぼうりようむら
大山領で汗入組に属した。享保四年(一七一九)の徳川氏朱印状では高四三六石余(鳥取県史)。延享三年(一七四六)の御巡見様手鑑(吉川家文書)によれば、高のうち年々水流荒六三石余・畑高五二石、新田畑高一六石余、家数六二・人数三六四(男一八七・女一七七)、牛九五・馬一〇。天保三年(一八三二)の大山領郷村高帳(県立博物館蔵)では新開高四〇石余、山林一ヵ所・六町三反余。慶応四年(一八六八)の大山領書上帳(遠藤家文書)の物成高二二一石余、家数一〇四・人数三九五(男二〇二・女一九三)。同年の御領内村々古新高免定等書写(同文書)では高四〇五石余、本坊
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報