日本歴史地名大系 「阿弥陀川」の解説 阿弥陀川あみだがわ 鳥取県:西伯郡大山町阿弥陀川大山三鈷(さんこ)峰北側の剣(けん)谷に源を発してほぼ北へ向かい、川床(かわとこ)付近で北西に向きを変えて高岳・鈑戸(たたらど)山の北麓を流下し前(まえ)の北方で鈑戸川、佐摩(さま)の北方で坊領(ぼうりよう)川、坊領北方で川手(かわて)川を合せながら北隣名和(なわ)町との境を流れ、福尾(ふくお)と名和町大塚(おおつか)の間で日本海に注ぐ。流路延長一三・四キロ、流域面積三六・九平方キロ。二級河川。標高差一一〇〇メートル以上をほぼ一直線に流れ下る急流で、通常の水量は少ないが、川幅は広い。大山の火山灰や砂礫を搬出し、平(ひら)付近を頂とする扇状地を形成、大山町の北半はこの扇状地の上にある。扇状地のうち川の右岸名和町域を庄内(しようない)平野、左岸を所子(ところご)平野ともいう。 阿弥陀川あみだがわ 青森県:東津軽郡蓬田村阿弥陀川村阿弥陀川旧名は江利前(えりまえ)川。江利前山(阿弥陀岳)を水源として東流し、陸奥湾に注ぐ、長さ約一五キロ。天明八年(一七八八)の菅江真澄の「外が浜つたひ」に「中沢、長科をへて阿弥陀川といへる村あり、小橋かけたり。此ながれに、むかし、すぎやう者の、あみだほとけをゆくりなうえて、浪岡村に庵つくりて、をこなひをりし物語のあり」と記し、地名の起りを述べている。伝説によると、浄土宗の開祖法然の高弟金光が、念仏弘通のため東奥に下向中、霊夢により承元四年(一二一〇)この地に来て、川中から阿弥陀の尊像を掘求めたという(奥州津軽弘前西光寺本尊阿弥陀川出現霊像略縁起)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報