日本歴史地名大系 「津山城下」の解説
津山城下
つやまじようか
- 岡山県:津山市
- 津山城下
慶長八年(一六〇三)、森忠政の美作国入部によって創設された。忠政は入国直後城地を選定し、その候補地として初め西部の美作国の守護館跡に隣接した
〔創設〕
森忠政は鶴山築城を決定するとともに城下町の創設を開始した。その縄張りをみると、宮川以東の中世の林田郷を東の町、宮川から
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
慶長八年(一六〇三)、森忠政の美作国入部によって創設された。忠政は入国直後城地を選定し、その候補地として初め西部の美作国の守護館跡に隣接した
森忠政は鶴山築城を決定するとともに城下町の創設を開始した。その縄張りをみると、宮川以東の中世の林田郷を東の町、宮川から
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…JR姫新線が通じ,津山線と因美線を分岐し,中国縦貫自動車道のほか国道53号,179号,181号線が通じる。【由比浜 省吾】
[津山城下]
津山藩主森・松平両氏の城下町。1603年(慶長8)信濃国川中島13万7500石から美作一国18万6500石に移封された森忠政は,かつて守護館が設けられた美作の府院庄に仮城を構えたが,翌年要害の地鶴山を選んで城地と定め,16年(元和2)まで13年の歳月を費やして壮大な平山城を築いた。…
※「津山城下」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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