城資永 (じょうすけなが)
生没年:?-1181(養和1)
平安末期に越後地方を領した武士。城資国の子。城太郎と呼ばれた。若年のころ在京,のち越後に渡って勢力の拡大をはかり,国司からは〈濫行〉を停止されるなどしたが,源平の争乱が始まると平氏と結んで信濃・甲斐の源氏と対抗した。1181年春,平氏から越後守に任じられたが,源義仲と対陣目前に病没。平氏は急ぎ弟の城長茂(ながもち)(資職(すけもと))を起用したが,義仲に敗れた。資永の事跡は,《玉葉》や《吉記》など中央貴族の日記に伝聞が記されるが,後代の《吾妻鏡》《神皇正統録》などには混乱がみられ,詳細は不明。
執筆者:阿部 洋輔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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城資永 じょう-すけなが
?-1181 平安時代後期の武将。
越後(えちご)(新潟県)で勢力をのばし,源平の争乱がはじまると平家方にくみした。養和元年源義仲の追討にむかう途中で急死した。名は助永ともかく。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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