埴生保(読み)はにゆうほ

日本歴史地名大系 「埴生保」の解説

埴生保
はにゆうほ

礪波となみ山東麓の現小矢部市埴生一帯に比定される山城石清水いわしみず八幡宮領庄園。保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(石清水文書)に「越中国 埴生保」とみえ、石清水八幡宮別当寺極楽ごくらく寺院主(勝清)が、領家・預所などに掠め取られた宮寺領の返付を願出て、当保ほかを返付されている。石清水八幡宮領であったことから、保内に八幡宮が勧請された。木曾義仲は平家との礪波山合戦の時「羽丹生」に陣取り、八幡宮に戦勝を祈願している(「平家物語」巻七)。応永一四年(一四〇七)九月一七日、幕府の命を受け埴生庄河窪かわくぼ名を石清水八幡宮雑掌自透に打渡すべきことが江良氏に命じられている(「盛氏遵行状」石清水文書)


埴生保
はにゆうほ

現柏崎市宮川みやがわ付近の保。延文二年(一三五七)正月二五日の左衛門尉某打渡状(覚園寺文書)に「越後国苅羽郡埴生保之内覚(ママ)寺領事 右、任先例知行不可有相違」とある。南北朝期、埴生保の中に鎌倉覚園かくおん寺領が存在した。応永一六年(一四〇九)三月晦日の覚園寺評定衆連署寄進(同文書)によれば、相模上総の所領三ヵ所とともに「越後宮河自在寺」が覚園寺開山塔泉龍院に寄進されているが、これが当保内の覚園寺領であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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