堀松村(読み)ほりまつむら

日本歴史地名大系 「堀松村」の解説

堀松村
ほりまつむら

[現在地名]志賀町堀松

矢蔵谷やぐらだに村の東、米町こんまち川の右岸に集落を形成、集落西および北の後背地は丘陵中世堀松庄の遺称地。江戸時代には外浦の川尻かわしり内浦大津おおつ(現田鶴浜町)を結ぶ大津往来の宿駅として栄えた。

元和二年(一六一六)の高四二〇石余、役棟一五(「苦竹運上極」雄谷文書)正保郷帳の高四二五石余、田二二町四反余・畑五町五反余、免四ツ四歩四厘。寛文一〇年(一六七〇)の村御印には高四四五石、免五ツ、小物成は山役二八六匁・苦竹役二匁、鳥役三匁(出来)とある(三箇国高物成帳)。天保年間(一八三〇―四四)の村明細によると高四四七石・新開八石余、家数七一(うち頭振一二)・人数三四九、馬三一、稼は布・苧・ばい木・駄賃日雇

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報