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堀田正亮 ほった まさすけ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

堀田正亮 ほった-まさすけ

1712-1761 江戸時代中期の大名。
正徳(しょうとく)2年1月6日生まれ。堀田正春の養子となり,享保(きょうほう)16年出羽(でわ)山形藩主堀田家第2次3代。寺社奉行,大坂城代をへて,延享2年老中となる。翌年転封(てんぽう)により下総(しもうさ)佐倉藩(千葉県)藩主堀田家第2次初代となった。10万石。遠州流の茶人で,おおくの名物茶入を所蔵した。宝暦11年2月8日死去。50歳。

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世界大百科事典内の堀田正亮の言及

【佐倉[市]】より

…江戸時代は江戸城の東を守る要所として重視され,1610年(慶長15)入封した土井利勝が鹿島台に佐倉城を築城,城下町を建設した。その後領主はめまぐるしく代わったが,1746年(延享3)老中堀田正亮が10万石(のち11万石)で入封,以後廃藩まで堀田氏の支配が続く。佐倉藩では学問が盛んで,藩校成徳書院(温故堂の後身)では儒学,兵学,医学,蘭学が教授され,1843年(天保14)には日本最初の私立蘭方医院とされる佐倉順天堂が開設された。…

【佐倉藩】より

…これは53年(承応2)のことらしい。60年(万治3)正信改易後,61年(寛文1)松平乗久(6万石),78年(延宝6)老中大久保忠朝,86年(貞享3)戸田忠昌(6万1000石),1701年(元禄14)老中稲葉正往(10万2000石),23年(享保8)老中松平乗邑(のりさと)(6万石),46年(延享3)老中堀田正亮(10万石,のち1万石加増)が入封するなど,佐倉は南関東の要地として歴代藩主の中には老中となった者が多い。 堀田正亮はさきに改易された正信の弟正俊の孫で,以後堀田氏はここに定着した。…

※「堀田正亮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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