朝日日本歴史人物事典 「堀真五郎」の解説
堀真五郎
生年:天保9.閏4.11(1838.6.3)
幕末の長州(萩)藩の志士,八幡隊総管。名は義彦,号は水石,真五郎は通称。長州藩の陪臣堀文右衛門の子として萩に生まれる。年少にして軍談を好み,功名心旺盛であった。万延1(1860)年,中国諸藩を遊歴。文久2(1862)年11月高杉晋作らと品川御殿山のイギリス公使館を焼打ちした。翌年12月,山口八幡社の神官の家に会して八幡隊を結成し,総管となる。慶応2(1866)年の幕長戦争では芸州口(広島県)に戦い,のち小倉口へ転戦。明治8(1875)年判事となり,東京裁判所を皮切りに大審院判事にまで進んだ。<著作>『伝家録』
(三宅紹宣)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報