朝日日本歴史人物事典 「堀親良」の解説
堀親良
生年:天正8(1580)
安土桃山・江戸初期の大名。幼名吉千代。織田信長の直臣秀政の次男。天正18(1590)年小田原征討の陣中に秀政が没したあと,遺領の一部越前国(福井県)内2万石を継ぐ。豊臣秀吉から羽柴の称を許され,秀家を名乗る。慶長3(1598)年上杉景勝の会津移封に伴い,兄秀治は春日山城(新潟県上越市)45万石,秀家は蔵王堂城(長岡市)4万石を分与された。7年病のため養嗣子(秀治の子鶴千代)に封を譲り,自らは隠居したが11年徳川家康に現役復帰を申し入れ,江戸で徳川秀忠に近仕した。16年下野国(栃木県)真岡城1万2000石に入封し,大坂両陣の活躍や秀忠上洛の供奉などが認められて,元和4(1618)年美濃国(岐阜県)山県郡内に5000石を加増され,寛永4(1627)年には下野国烏山城2万5000石を与えられた。子親昌以降は代々信濃国飯田藩主として明治に至った。
(横山昭男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報