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堀親良 ほり ちかよし

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

堀親良 ほり-ちかよし

1580-1637 織豊-江戸時代前期の大名。
天正(てんしょう)8年生まれ。堀秀政の次男。豊臣秀吉につかえ,天正18年父の遺領のうち越前(えちぜん)(福井県)の2万石をつぐ。慶長3年越後(えちご)(新潟県)蔵王堂(ざおうどう)城主。4万石。のち徳川秀忠につかえ,下野(しもつけ)(栃木県)真岡(もおか)藩をへて,寛永4年下野烏山(からすやま)藩主堀家初代。2万5000石。寛永14年5月13日死去。58歳。初名は秀家。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

堀親良

没年:寛永14.5.13(1637.7.5)
生年:天正8(1580)
安土桃山・江戸初期の大名。幼名吉千代。織田信長の直臣秀政の次男。天正18(1590)年小田原征討の陣中に秀政が没したあと,遺領の一部越前国(福井県)内2万石を継ぐ。豊臣秀吉から羽柴の称を許され,秀家を名乗る。慶長3(1598)年上杉景勝の会津移封に伴い,兄秀治は春日山城(新潟県上越市)45万石,秀家は蔵王堂城(長岡市)4万石を分与された。7年病のため養嗣子(秀治の子鶴千代)に封を譲り,自らは隠居したが11年徳川家康に現役復帰を申し入れ,江戸で徳川秀忠に近仕した。16年下野国(栃木県)真岡城1万2000石に入封し,大坂両陣の活躍や秀忠上洛の供奉などが認められて,元和4(1618)年美濃国(岐阜県)山県郡内に5000石を加増され,寛永4(1627)年には下野国烏山城2万5000石を与えられた。子親昌以降は代々信濃国飯田藩主として明治に至った。

(横山昭男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典内の堀親良の言及

【長岡[市]】より

…中世には市域南部は志度野岐(脱)(しとのき)荘,信濃川べりは大島荘とよばれた。河岸の要衝地点蔵王堂には守護代の一族古志長尾氏が拠ったが,1598年上杉景勝の会津移封のあとを受けて春日山城に入った堀秀治の弟堀親良が蔵王(堂)城を築いて本拠とし,4万石を領した。1604年ころ親良の養子鶴千代(秀治の次男)の後見役として坂戸城(現,南魚沼郡六日町)城主堀直竒が入り,翌05年には川欠けの被害に悩まされていた蔵王城とその城下の移転を企て,〈平潟べり〉と当時よばれた現在の長岡市街の中心地点に長岡城の築城と城下町の建設を始めた。…

【堀氏】より

…近世大名。清和源氏,藤原氏,菅原氏,大神氏などの諸姓に属する堀氏のうち,藤原姓利仁流で美濃厚見郡出自の堀氏が最も栄えた。美濃厚見郡茜部(あかなべ)を領した堀秀重の子久太郎秀政は織田信長に属して近江長浜を領し,ついで豊臣氏に従属,近江佐和山城主を経て1585年(天正13)越前北ノ庄18万石余を領し,その子秀治が98年(慶長3)越後春日山30万石余に転封し,その子忠俊の代の1610年改易されて絶家した。…

※「堀親良」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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