日本歴史地名大系 「堂坂越・坂越」の解説 堂坂越・坂越どうさかごえ・おうさかごえ 三重県:伊勢市堂坂越・坂越伊勢から鳥羽および志摩への道路としては堂坂越・逢坂(大坂)越などがあった。堂坂越は朝熊(あさま)村から東へ堂坂峠を経て堅神(かたかみ)(現鳥羽市)を通り鳥羽に至るもので、近世山田と鳥羽間の要路であった。逢坂越は杉坂(すぎさか)越ともいい、宇治から杉坂・逢坂峠を経由して恵利原(えりはら)(現志摩郡磯部町)に至り、伊雑(いぞう)宮参詣者などが利用した。文化一一年(一八一四)の志摩国之図(神宮文庫蔵)に「堂坂越、伊勢朝熊村江一里廿一町此道ハ山田ノ迫止坂ヨリ通村ノ方ヨリ楠部ヘ出ル」「大坂越ハ小河多シ雨後ハ通カタシ恵利原村ヨリ伊勢内宮江三里十五町磯部越ト云」と記されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by