日本歴史地名大系 「堂奥村」の解説
堂奥村
どうのおくむら
[現在地名]舞鶴市字堂奥
村域内の祖母谷川扇状地に平安時代後期の遺物散布地として知られる堂奥遺跡がある。
堂奥村より
慶長検地郷村帳には高四四八・三八石「堂奥村」とみえ、土目録では総高四四九石余、内訳は田方三七三石余、畑方は七五石余で、運上のなかに奉書運上銀六五匁八分二厘、端折紙六束が記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
村域内の祖母谷川扇状地に平安時代後期の遺物散布地として知られる堂奥遺跡がある。
堂奥村より
慶長検地郷村帳には高四四八・三八石「堂奥村」とみえ、土目録では総高四四九石余、内訳は田方三七三石余、畑方は七五石余で、運上のなかに奉書運上銀六五匁八分二厘、端折紙六束が記される。
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