堂洞城跡(読み)どうぼらじようあと

日本歴史地名大系 「堂洞城跡」の解説

堂洞城跡
どうぼらじようあと

[現在地名]富加町夕田、美濃加茂市蜂屋町下蜂屋

美濃加茂市蜂屋はちや下蜂屋しもはちやとにまたがる堂洞峠にあり、本丸跡は三方断崖となった約六〇〇平方メートルの平坦地で、石垣・礎石の一部が残る。南のみが開け、表門となる。南に二の丸が続き、さらに下蜂屋の北洞きたぼらに大手門跡がある。天文永禄(一五三二―七〇)の頃、斎藤氏家臣の岸勘解由信周が居城したという。天文一六年稲葉山城を攻略した織田信秀との戦いで、信周は織田信長の従弟織田新十郎を討取った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android