日本歴史地名大系 「塔世川」の解説 塔世川とうせがわ 三重県:津市塔世川安芸(あげ)郡芸濃(げいのう)町の河内谷(こうちだに)を水源とし、塔世をよぎって海に注ぐので塔世川と称した。上流で美濃夜(みのや)川、中流で安濃(あのう)川、下流で塔世川と称し、全体としての正称は安濃川と称する。「草蔭冊子」に「水源は本郡河内谷より出て、東南に流れ海に入る、塔世村の辺に至りて塔世川と称す、此里程四里」とある。中世は乙部(おとべ)村付近を本流が流れ、架橋されていたらしく、応永三一年(一四二四)将軍足利義量一行が「おとめのはし」(乙部の橋か)を渡っているし(室町殿伊勢参宮記)、永享五年(一四三三)将軍義教の参宮では、長野氏が接待し、恵音院二世住持権少僧頼純記(津市史)によれば「塔世川松流水の上に虹蜆五色の板橋を渡す」という歓迎ぶりであったと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by