塔寺宿(読み)とうでらしゆく

日本歴史地名大系 「塔寺宿」の解説

塔寺宿
とうでらしゆく

[現在地名]会津坂下町塔寺

越後街道の宿駅で、慶長一六年(一六一一)の会津大地震以前はより北を通っていたが、勝負沢しようぶさわ峠が通行できなくなったため、新しく鐘撞堂かねつきどう峠を開削したので、坂下村とともに新しく宿駅となった。坂下村より二一町四〇間、当地より船渡ふなと村・片門かたかど村まで二九町四五間、また柳津やないづ(現柳津町)まで二里三町四〇間であった(新編会津風土記)。元和四年(一六一八)会津藩が塔寺村に宛てた駄賃村送定(新編会津風土記)によると、片門村船渡村は上り荷物を塔寺村へ継ぎ、塔寺村は同じく上り荷物のみ坂下村に継ぎ、下り荷は坂下村から片門村・船渡村へ直送する片送りであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む