日本歴史地名大系 「塩子村」の解説 塩子村しおごむら 茨城県:西茨城郡七会村塩子村[現在地名]七会村塩子花香月(はなかづき)山・高崎(たかさき)山などの山々に囲まれた山村で、南東は小勝(おがち)村。塩子川が西から南東へ流れる中央部が低地となっている。藤井川に沿って日光街道が小勝と青梅(おうめ)(現栃木県芳賀郡茂木町)を結び、近世には街道沿いに宿場として上(かみ)宿と下宿が設けられていた。「吾妻鏡」(脱漏分)嘉禄元年(一二二五)九月一二日条に「故大夫判官光季遺領事、有其沙汰、彼子息四郎季村等拝領之、常陸国塩籠庄、元和田平太知行之」とあって、塩籠(しおご)と称しており、もとは荏柄平太が知行した地で、当時は伊賀光季・秀村が地頭であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by