塩屋町一丁目・塩屋町二丁目・塩屋町三丁目(読み)しおやまちいつちようめ・しおやまちにちようめ・しおやまちさんちようめ

日本歴史地名大系 の解説

塩屋町一丁目・塩屋町二丁目・塩屋町三丁目
しおやまちいつちようめ・しおやまちにちようめ・しおやまちさんちようめ

[現在地名]高松市塩屋町・塩上町しおがみちよう二丁目など

とおり町に続いて長尾ながお街道・志度しど街道沿いに南へ一―三丁目と延びる商人町。南は城下町の南東端部で田畠が広がっている(天保一五年城下図)。生駒氏時代屋敷割図には「通町筋」とあり、町名は北東方の井口いぐち町・新通しんとおり町にあたる地に記されている「塩やき町」に関係するものとみられる。高松城下図屏風では、のちの新塩屋しんしおや町付近まで潮が入っているが、杣場せんば川西岸の通り沿いに町屋が建並んでおり、松平頼重入部時、すでに城下町東部の商人町として繁盛していたと考えられる。「小神野夜話」にも「大手と申は、塩屋町・田町・西浜三か所にて御座候、昔の形にて、今以大手先三か所」とある。享保年間(一七一六―三六)の城下図は単に塩屋町とし、南端に番所と木戸を記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む