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井上甚太郎(読み)イノウエ ジンタロウ

20世紀日本人名事典 「井上甚太郎」の解説

井上 甚太郎
イノウエ ジンタロウ

明治期の実業家,政治家 衆院議員(政友会)。



生年
弘化2年3月(1845年)

没年
明治38(1905)年8月23日

出生地
讃岐国高松(香川県)

経歴
讃岐高松藩御用掛として砂糖の専売従事。明治8年から塩業界に入り、十州塩田組合の東讃支部長となって生産調整を進めたが、20年農商務省の生産制限法に反対し紛争を起こし、その後組合脱退した。この間、板垣退助の自由民権説に共鳴し塩谷町に高松立志社を建てて運動し、19年投獄される。28年政府から清(中国)の塩業調査に派遣され、31年塩業調査会委員に任命される。35年から衆院議員(政友会)に当選3回、塩専売法審議活躍した。また中国福建省に棉花を試作し、農工商の視察を行った。著書に「日本塩業改良の始末」「塩業改良論」「日本塩業論」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「井上甚太郎」の解説

井上甚太郎

没年:明治38.8.23(1905)
生年:弘化2.3(1845)
明治期の塩業家,塩業改良論者として活躍。讃岐高松に生まれる。明治8(1875)年以来塩業界の結束に奔走し,生産調整実施のため十州塩田同盟結成に参画するが,やがて塩業そのものの改善の必要性を覚り,独自の業界活動を行った。20年,国の生産規制に反対して十州塩田組合紛争を起こした。28年政府から清国塩業調査に派遣され,31年塩業調査会委員に任命された。35年衆院議員に当選,37年塩専売法案が上程されると同法案委員会委員となる。塩専売法は38年6月施行されたが,その直後に病没。<著作>『日本塩業改良の始末』『塩業改良論』『日本塩業論』

(村上正祥)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「井上甚太郎」の解説

井上 甚太郎
イノウエ ジンタロウ


肩書
衆院議員(政友会)

生年月日
弘化2年3月(1845年)

出生地
讃岐国高松(香川県)

経歴
讃岐高松藩で砂糖の専売に従事し、のちに塩業界に入る。明治35年衆議院議員となり、塩専売法の審議で活躍。

没年月日
明治38年8月22日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井上甚太郎」の解説

井上甚太郎 いのうえ-じんたろう

1845-1905 明治時代の実業家,政治家。
弘化(こうか)2年3月生まれ。讃岐(さぬき)高松藩の御用掛として砂糖の専売に従事。のち塩業界にはいり,十州塩田組合の東讃支部長となって生産調整をすすめたが,明治20年農商務省の生産制限法に反対し,組合を脱退。35年衆議院議員(当選3回,政友会)となり,塩専売法の審議で活躍した。明治38年8月22日死去。61歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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