日本歴史地名大系 「塩沢堰」の解説 塩沢堰しおざわせぎ 長野県:北佐久郡立科町塩沢新田塩沢堰蓼科(たてしな)山付近の八丁地(はつちようじ)川から雨境(あまざかい)峠の尾根伝いを北流。全長五〇余キロ。六川(ろくがわ)長三郎勝家が正保三年(一六四六)に完成させた用水路。灌漑面積四三〇町歩。六川家の祖は甲斐六川(武川か)の土豪で武田氏に仕え、武田氏滅亡後真田氏の客臣となったが、関ヶ原戦の頃真田家を辞して、眷属とともに長窪(ながくぼ)村(現小県郡長門町)に住みついたという(旧版北佐久郡志)。主家滅亡のため近世封建家臣団化することのできなかった戦国土豪の末である。徳川幕府の土豪に対する新田開発許可策の中で、長三郎は、塩沢一帯の開発のための用水路の開削を寛永年中(一六二四―四四)より考え、蓼科(たてしな)山中に水源を求めること三年。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
事典・日本の観光資源 「塩沢堰」の解説 塩沢堰 (長野県北佐久郡立科町)「疏水百選」指定の観光名所。 出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報 Sponserd by