朝日日本歴史人物事典 「塩谷大四郎」の解説
塩谷大四郎
生年:明和6.6.14(1769.7.17)
江戸後期土木事業などに大きな業績を残した西国筋郡代。名は正義。幕臣粟津家に生まれ,のち塩谷家に入る。寛政12(1800)年勘定吟味改役から代官に昇進。文化13(1816)年九州の幕領10万石支配の代官に任命され,翌年豊後国日田陣屋(大分県日田市)へ着任した。その後支配地は16万石余にまで増え,文政4(1821)年には西国筋郡代に昇任。日田在任中は小ケ瀬井路の開削,筑後川舟運の整備,救済施設陰徳倉の設置,道路の改修などを行った。また,豊前宇佐郡や豊後国東郡などの海岸干拓新田を築造。こうした積極的政策は町村の豪農商の出金によって賄われたため負担増となり,「塩鯛(塩谷大四郎)は元のブエン(無塩)に立返れ,塩が辛うて舌(下)がたまらん」との狂歌も残されている。天保6(1835)年まで同職にあった。
(豊田寛三)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報