境興野村(読み)さかいこうやむら

日本歴史地名大系 「境興野村」の解説

境興野村
さかいこうやむら

[現在地名]鶴岡市山田(やまだ)

橋(けぬきばし)村の西にある。境興屋とも記される。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に堺興屋(さかいこうや)村とみえ、高七五石余。ほかに同年の庄内寺社領目録によれば白鬚(しらひげ)明神(現白鬚神社)領二石があった。寛永元年庄内高辻帳では田川郡に属し、高九二石余。正保郷帳では長沼(ながぬま)村に含まれる。弍郡詳記では高九二石余、免五ツ六分二厘、家数五。用水は青竜寺川支堰の蔵(くら)の脇(わき)堰を利用(享保一七年「熊出川用水組合高之覚」二口文書)。明治九年(一八七六)山田村に合併。産土神白鬚神社の祭神は猿田彦大神、同神社由来記(大泉村史)によれば、和銅五年(七一二)近江国から当地に移住してきた人々によって同国から勧請されたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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