増子喜一郎(読み)マスコ キイチロウ

20世紀日本人名事典 「増子喜一郎」の解説

増子 喜一郎
マスコ キイチロウ

明治・大正期の教育家



生年
慶応1年11月2日(1865年)

没年
大正13(1924)年2月11日

出生地
越後国(新潟県)

学歴〔年〕
東京専門学校政治科(現・早稲田大学)〔明治26年〕卒

経歴
郷里の越後で苦学を重ね、のち上京して海軍少将・世良田亮(当時大尉)の援助を受け勉学に励む。明治20年世良田が清国に派遣されると従者となって天津に渡り清国事情の研究に努めた。23年帰国し、ついで東京専門学校政治科に入り、26年卒業して同校の舎監となる。早稲田中学創立の際に事務を務め、のち幹事となる。以来終生を同校の経営並びに学生の養成に捧げ、特に日中提携の信条の下に中国留学生の庇護に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「増子喜一郎」の解説

増子喜一郎 ますこ-きいちろう

1865-1924 明治-大正時代教育者
慶応元年11月2日生まれ。東京専門学校(現早大)卒業後,同校舎監。早稲田中学創立の際の事務をつとめ,幹事となった。中国留学生の庇護にもつくす。大正13年2月11日死去。60歳。越後(えちご)(新潟県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android