増長院(読み)ぞうちよういん

日本歴史地名大系 「増長院」の解説

増長院
ぞうちよういん

[現在地名]峰山町字富貴屋

富貴屋ふきやの小丘薬師やくし山の南にある。昌峰山と号し、高野山真言宗(もと嵯峨大覚寺末)本尊は聖観世音。

増長院二代住持増信の筆録した覚書(当寺蔵)や縁城寺文書によれば、当院はもと橋木はしぎ縁城えんじよう寺の一支院(般若院)であったが、峯山藩初代京極高通によって吉原山蔵王権現(現金峰神社)別当職を命じられ、明暦二年(一六五六)別当屋敷を現在地にもらったのに始まる。覚書に「盛舜上人別当職被仰付候、縁城寺ハ程隔テ候とて峰山へ寺地を曳キ別当屋敷被下候」とあり、縁城寺文書に「其後延宝九年之頃より増長院と改号唱候」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む