日本大百科全書(ニッポニカ) 「峰山」の意味・わかりやすい解説
峰山
みねやま
京都府北西部、中郡(なかぐん)にあった旧町名(峰山町(ちょう))。現在は京丹後市(きょうたんごし)の南部中央を占める一地区。旧峰山町は、1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)吉原(よしわら)、五箇(ごか)、新山(にいやま)、丹波(たんば)の4村と合併、1956年長善(ちょうぜん)村の一部を編入。2004年(平成16)大宮(おおみや)、網野(あみの)、丹後、弥栄(やさか)、久美浜(くみはま)の5町と合併、市制施行して京丹後市となる(なお、この合併により中郡は消滅)。丹後半島のほぼ中央に位置し、北流する竹野川に沿って京都丹後鉄道宮豊線、国道312号、482号が通じる。江戸時代は京極(きょうごく)氏峰山藩1万1000石の小城下町で、1720年(享保5)絹屋佐平治(きぬやさへいじ)が西陣から機織技術を伝え、藩の奨励もあって農閑期を利用した機業が発達した。丹後縮緬(ちりめん)機業地の一つで、機業に関係のある糸問屋、織物工場が多い。機業と関連して木工業や鉄工業の発達もみられ、また赤坂工業団地が造成されて精密機械や機械金属の工場も進出している。真言(しんごん)宗の縁城寺(えんじょうじ)の本尊木造千手観音(せんじゅかんのん)立像(平安時代)、正平6年(1351)の年号が刻まれた宝篋印塔(ほうきょういんとう)(室町時代)は国指定重要文化財。旧弥栄町との境にある大田南5号墳から出土した青龍(せいりゅう)3年(235)銘の方格規矩四神(ほうかくきくししん)鏡も国の重要文化財。峰山藩京極家の菩提(ぼだい)寺である常立寺には、絹屋佐平治の墓もある。
[織田武雄]
『『峰山郷土史』全2冊(1964・峰山町)』