日本歴史地名大系 「峯山町」の解説
峯山町
みねやままち
古くは嶺山と記され、江戸時代にはおもに峯山、現在は峰山と記す。
中郡平野を流れる竹野川は現峰山町に入って
峯山の名を史料的に確認できる早い例は、連歌師里村紹巴が記した「天橋立紀行」である。永禄一二年(一五六九)閏五月京都をたった紹巴は、天橋立(現宮津市)に遊んだのち、
この頃の峯山については他に史料がなくつまびらかにできないが、
慶長六年(一六〇一)京極高知が丹後一国を領して
とみえる。延宝八年(一六八〇)改の峯山領御知行郷村高帳によれば「吉原庄」のうちに「元杉谷分」として六七〇・〇六石が記され、このうち六三石が「峯山御用地御引」とされている。また同帳は吉原庄の個所で別に三五・一二二石を記し、うち三二・六四石を峯山分とする。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報