日本歴史地名大系 「壬生庄」の解説
壬生庄
みぶのしよう
郷堺」と明示され、東は
立荘は、同立券文によれば嘉応二年五月五日付の院庁下文および同一三日付の国司庁宣により、翌年正月で、高倉天皇とその母建春門院滋子の祈祷料厳島社領であったことが知れる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
郷堺」と明示され、東は
立荘は、同立券文によれば嘉応二年五月五日付の院庁下文および同一三日付の国司庁宣により、翌年正月で、高倉天皇とその母建春門院滋子の祈祷料厳島社領であったことが知れる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...