壬生郷(読み)みぶごう

日本歴史地名大系 「壬生郷」の解説

壬生郷
みぶごう

和名抄」所載の郷。同名の郷は各地にあり、「和名抄」東急本では三つの郷に「尓布」の訓がある。「日本霊異記」中巻第三一に遠江国磐田いわた郡の丹生直弟上という人があり、同氏と磐田郡の壬生郷とを結び付ける説があるが、本来、丹生はニフ、壬生はミブと明らかに別語であるうえに、ほかにこの両語が紛れた例はみられないので、これは偶然の一致であろう。「和名抄」の訓「尓布」はニフともニブとよめる。ニは語頭音ミの転じたものとしてありうるが、ここでは本来のミブとよむ。比定地は現揖斐いび郡池田町宮地みやじ地区とする説が多数を占める(大日本地名辞書・岐阜県史・揖斐郡志)。ただ「揖斐郡志」は宮地北部・養基やぎ地区沓井くついなどを加えたかす川右岸地区をあげている。

壬生郷
みぶごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに「壬生」と記すが訓を欠く。「芸藩通志」は「現に村名に存す」とする。厳島社領壬生庄は、壬生郷と有田ありだ(ともに現山県郡千代田町)からなるが、その壬生郷に連なる郷であろう。「日本地理志料」は壬生村を遺名とし、川西かわにし川東かわひがし総森そうもり川戸かわど中山なかやまなどの諸村(現千代田町)にかけてを郷域とする。

壬生郷
にうごう

「和名抄」諸本にみえる郷名。東急本に「尓布」の訓がある。平城京二条大路側溝跡から出土した木簡(「平城宮木簡概報」二四―二四頁)は天平八年(七三六)七月の年紀をもち、「遠江国磐田郡壬生郷戸主服織(以下欠)」との記載がある。「遠江国風土記伝」は二俣ふたまた(現天竜市)に比定する。

壬生郷
みぶごう

「和名抄」所載の郷で、東急本では尓布と訓を付す。「日本地理志料」「大日本地名辞書」ともに「安房国誌」のいう旧ほしはた(現鴨川市)美宇みうの字名をとってこの地域に比定している。同村を中心とする地域は嶺岡みねおか山系山間から南東裾を流れる曾呂そろ川の最上流域から山地にかけての一帯で、曾呂川地域が有数の地滑り地帯であることを差引いても、これまでのところ古墳時代から奈良・平安時代の遺跡は確認されておらず、当郷の比定地としては適当とはいいがたい。

壬生郷
にゆうごう

「和名抄」諸本とも文字異同はなく、伊勢本・東急本・元和古活字本の訓「尓布」から「にゅう」と読む。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報