壱岐国府跡推定地
いきこくふあとすいていち
古代の壱岐国府の跡。壱岐島府ともいわれる。「和名抄」によれば石田郡に置かれたが、その所在地は現芦辺町中野郷国分の地とする説、芦辺町から石田町にわたる湯岳興触とする見解などがある。国分説では中野郷仲触に幸ノ元・惣清・泉水などの地名があり、郡城跡を重視するが(大日本地名辞書)、同所が壱岐郡域にあたり、また地勢が狭小かつ不適当で、あるいは壱岐郡家かという指摘がある。湯岳説では興は国府の転訛と考えられるほか、北接の湯岳今坂触に大宝・馬場、南接の石田町湯岳射手吉触に総社・清水などの地名が残されている。湯岳の興神社は延宝年間(一六七三―八一)の調べによれば「石田郡湯岳村の内こうの印鑰大明神は昔より当国の一宮と伝ふ」とされており、「延喜式」神名帳に記される天手長男神社の比定を試みる壱岐二四座記・承応社記などは国府村にあると記し、式社沿革考では古今一宮とも国府宮とも印鑰とも称したという(特選神名牒)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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