夏侯惇(読み)かこうとん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「夏侯惇」の意味・わかりやすい解説

夏侯惇
かこうとん
(?―220)

中国、三国魏(ぎ)の武将。字(あざな)は元譲(げんじょう)。沛(はい)国譙(しょう)県(安徽(あんき)省亳州(はくしゅう)市)の人。曹操(そうそう)の父である曹嵩(そうすう)は、夏侯氏からの養子であり、夏侯惇は、曹操の従弟にあたる。曹操挙兵時からの腹心で、その拠点を守り続けた。曹操生涯最大の危機となった陳宮(ちんきゅう)と張邈(ちょうばく)が呂布(りょふ)を引き込んだ反乱の際には、鄄城(けんじょう)、范城(はんじょう)、東阿(とうあ)の3県を死守した。しかし、乱戦のなか、片目を失い「盲夏侯(もうかこう)」とよばれた。このため、『三国志演義』では、猛将のイメージが強く、多くの戦いで華々しく活躍するが、史実ではもっぱら後方補給と本拠地の守備を担当した。曹操の信頼がもっとも厚く、寝室まで自由に出入りができた。216年、孫権(そんけん)の征伐に従った際には、帰還の途中に全26軍の総司令官となり、居巣(きょそう)に駐屯して孫呉の動きに備えた。また、質素で部下をいたわり、財務官僚として必要不可欠の清廉さをもっていた。曹丕(そうひ)が魏の皇帝に即位すると大将軍(だいしょうぐん)となり、臣下として最高の待遇を受けるが、その数か月後に卒(しゅっ)した。

[渡邉義浩]

『渡邉義浩著『「三国志」武将34選』(PHP文庫)』

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