孫権(読み)ソンケン(英語表記)Sūn Quán

デジタル大辞泉 「孫権」の意味・読み・例文・類語

そん‐けん【孫権】

[182~252]中国三国時代の建国者。在位222~252年。孫堅の子。富春(浙江せっこう省)の人。あざなは仲謀。諡号しごう大帝。父・兄の事業を継いで、江東六郡を支配し、赤壁の戦いでは劉備りゅうびと同盟し曹操の軍を破った。

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精選版 日本国語大辞典 「孫権」の意味・読み・例文・類語

そん‐けん【孫権】

  1. 中国、三国時代の呉の初代皇帝(在位二二二‐二五二)。孫堅の子。父の敵、黄祖を破り、赤壁戦いでは、劉備と結んで曹操の軍を破って、江南にその地位を固め、呉、魏、蜀漢の三国鼎立時代を招いた。(一八二‐二五二

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改訂新版 世界大百科事典 「孫権」の意味・わかりやすい解説

孫権 (そんけん)
Sūn Quán
生没年:182-252

中国,三国時代の初代皇帝。在位222-252年。父の孫堅死後,兄の孫策(175-200)は数百人の部下と,もとから父に従っていた1000人あまりの兵を率いて195年(興平2)から長江揚子江)下流デルタに進出し,土着豪族たちの協力を得て江南に割拠する基礎を固めた。孫策が刺客に殺されたあと,孫権は名臣の周瑜(しゆうゆ)らに助けられ,また豊かな政治的能力によって江南豪族たちの信望を得つつ,ますますその地盤を固め,208年(建安13)には赤壁の戦に勝って曹操南下をくいとめ,219年には荆州を占領して長江中流域以南を領有した。220年(黄初1)に魏の国が成立し,221年(章武1)劉備もこれに対抗して蜀に漢国を建てると,孫権は黄武の年号を独自に定めて独立し,229年に国号を呉と定めて帝位につき,都を建業南京)に置いた。その後はだいたい蜀漢と結んで魏に対抗しつつ版図を広げたが,彼の死によって呉国の内部統一は急速に弛緩していった。
三国演義
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「孫権」の意味・わかりやすい解説

孫権
そんけん
(182―252)

中国、三国呉(ご)の初代皇帝(在位222~252)。字(あざな)は仲謀、諡号(しごう)は大帝。孫堅(そんけん)の子。192年父の堅が死に、200年兄の策が没したので19歳で孫氏の統領となり、父兄の事業を受け継いだ。曹操(そうそう)や劉備(りゅうび)と対立、同盟を繰り返しつつ、揚子江(ようすこう)中・下流域を基盤に呉国を建てた。すなわち208年、劉備と同盟して曹操の南下を食い止め、赤壁(せきへき)の戦いを行った。戦後は妹を劉備の皇后として嫁がせ、その関係を密接にしたが、荊(けい)州領有をめぐってしだいに対立を深め、劉備の入蜀(しょく)を機に妹を呉に帰らせ、曹操と同盟して劉備の武将関羽(かんう)を攻め、荊州領有に成功した。魏(ぎ)の文帝がたつと呉王に封じられたが、年号を独自に黄武とし、独立の意を示した(222)。劉備の死後、蜀(しょく)と同盟し魏と対立した。229年帝位につき、都を建業(けんぎょう)(南京(ナンキン))に定めた。国内においては山越えの討伐を行い、また交州の士氏を倒してインドシナ半島にも勢力を伸ばすなど、南方に領土を広げた。晩年皇太子に先だたれ、後継争いが起こり、呉は混乱した。

[狩野直禎]

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百科事典マイペディア 「孫権」の意味・わかりやすい解説

孫権【そんけん】

中国,三国時代のの初代皇帝。後漢末の動乱にあたって江南を平定し,赤壁の戦曹操(そうそう)を破って地位を確立。222年呉王と称し,229年帝位につく。231年建業(南京)に都した。
→関連項目南京武漢劉備

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「孫権」の意味・わかりやすい解説

孫権
そんけん
Sun Quan; Sun Ch`üan

[生]光和5(182)
[没]神鳳1(252)
中国,三国時代の第1代皇帝 (在位 222~252) 。字は仲謀,諡は大皇帝。呉郡富春 (浙江省富陽県) の人。孫堅の子。建安5 (200) 年兄孫策の急死により跡を継いだ。孫権は土着豪族および北から南下した名士の支持を得て,巧みな政治的外交的手腕をふるい,ついに江南支配を達成した。劉備と連合して曹操の南下を食止めた赤壁の戦いはその間に起ったものである。 222年呉王となり,建元して黄武といったが,まだ魏の封策を受けていた。黄竜1 (229) 年には皇帝の位について独立し,建業を首都とした。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「孫権」の解説

孫権(そんけん)
Sun Quan

182~252(在位229~252)

三国の初代皇帝。兄の孫策(そんさく)が江南に領土を確保したが,暗殺されたのであとを継ぎ,劉備(りゅうび)と連合して赤壁の戦い曹操(そうそう)を破った。ついで劉備の部下関羽(かんう)を襲って荊州(けいしゅう)を奪い,建業(南京)を都として華中,華南の開発を行った。

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旺文社世界史事典 三訂版 「孫権」の解説

孫 権
そんけん

182〜252
三国時代の呉の初代皇帝(在位222〜252)
蜀漢の劉備 (りゆうび) と同盟して魏の曹操の軍を赤壁 (せきへき) の戦いに破り,天下を3分,江南に勢力を張った。222年黄武の年号をたてて独立国の体裁をとり,229年武昌で即位して大帝と称し,国号を呉として建業に都した。

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世界大百科事典(旧版)内の孫権の言及

【呉】より

…呉郡富春(浙江省富陽県)出身の孫堅が後漢末の群雄の一人として活躍したのち,子の孫策が長江下流域を制したが若死する。その地盤をついだ弟の孫権は劉備と同盟して208年(建安13),南下する曹操の軍を赤壁に破り,さらに219年,劉備に勝って長江中流域以南を領有した。魏と蜀があいついで帝号を称したのに対抗して,222年(黄武1),孫権は呉王として独立したのち,229年(黄竜1)に帝位について首都を建業(南京)に定めた。…

【三国時代】より

… 曹操は献帝を擁して鄴(ぎよう)に移り,華北東部を制覇した。やがて長江中流域への進出を企てたが,劉備孫権に阻止された。黄巾の乱討伐に功名を挙げた劉備は群雄の間を転々としたのち,荆州牧劉表に帰属した。…

【赤壁】より

…華北平定に成功した曹操は,208年(建安13)中国統一の目的で南下してきた。劉備の謀臣諸葛孔明(しよかつこうめい)は孫権のもとに赴き,劉備・孫権の同盟に成功,長江を下って来た曹操の軍と赤壁で対峙,火攻の計でこれを打ち破った。こうして天下三分の情勢がほぼ成立した。…

【赤壁の戦】より

…中国,後漢末,曹操劉備孫権連合軍の決戦。華北を統一した曹操は湖北の劉表を攻撃,劉表は病死して湖北の一部は曹操に下った。…

【ひげ(髭∥鬚∥髯)】より

…これに対して古代中国には,巨人盤古の死後に髪や髭から星を生じた話や,《列仙伝》や《神仙伝》に登場する多くの超人たちがみごとなひげをもって描かれていることなどがあるばかりではない。《三国志》の英雄もみなひげを蓄えており,なかでも孫権の高貴な紫髯と関羽の美髯が際だっている。〈羽美鬚髯,故亮謂之髯。…

※「孫権」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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