日本大百科全書(ニッポニカ) 「呂布」の意味・わかりやすい解説
呂布
りょふ
(?―198)
中国、後漢(ごかん)末の武将。字(あざな)は奉先(ほうせん)。五原(ごげん)郡九原(きゅうげん)県(内モンゴル自治区パオトウ市の西)の人。「飛将(ひしょう)」とよばれ、「人中(じんちゅう)に呂布あり、馬中(ばちゅう)に赤兎(せきと)あり」(「赤兎」は呂布が乗っていた馬の名)と称された、三国時代最強といわれる武将である。しかし、その個人的武力が卓越していたわりには、群雄の一人として根拠地を維持し、兵を養っていく能力には欠けていた。丁原(ていげん)に従い上洛(じょうらく)したが、董卓(とうたく)に籠絡(ろうらく)されて丁原を斬(き)り、さらに、董卓の侍女との関係が発覚するのを恐れ、王允(おういん)の董卓暗殺計画にのる。董卓を殺害した後、王允とともに国政を掌握したが、その政治は2か月と続かなかった。王允と呂布が董卓の率いた涼州兵(りょうしゅうへい)を許さなかったので、李傕(りかく)と郭汜(かくし)が糾合した涼州兵に敗れたのである。その後も裏切りと放浪を繰り返し、最後には下邳(かひ)で曹操(そうそう)に殺された。『三国志演義』では、董卓の侍女が、王允の歌伎(かぎ)である貂蝉(ちょうせん)と創作され、王允が呂布に側室とすると約束した貂蝉を董卓に献上し、2人の仲を割いて呂布に董卓を暗殺させる、という「美女連環(れんかん)の計」が展開される。
[渡邉義浩]
『渡邉義浩著『「三国志」武将34選』(PHP文庫)』