夏侯淵(読み)かこうえん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「夏侯淵」の意味・わかりやすい解説

夏侯淵
かこうえん
(?―219)

中国、後漢(ごかん)末、曹操(そうそう)の武将。字(あざな)は妙才(みょうさい)。沛(はい)国譙(しょう)県(安徽(あんき)省亳州(はくしゅう)市)の人。夏侯惇(かこうとん)の従弟。曹操挙兵時からの宿将。勇猛で先頭に立って戦い、「典軍校尉(てんぐんこうい)の夏侯淵、三日で五百里、六日で一千里」と評されるほど、敵の不意をつく急襲を得意とした。やがて曹操が、渭水(いすい)の戦いで馬超(ばちょう)、韓遂(かんすい)を破ると、関中(かんちゅう)と涼州(りょうしゅう)の平定という大役を任された。羌(きょう)族を主力とする韓遂の軍に対して、夏侯淵は羌族の居留地を攻撃して、韓遂をおびき出す。野戦に引きずり込まれた韓遂は大敗し、夏侯淵は涼州を平定した。こののち、羌族が曹操に謁見(えっけん)する際には、曹操は夏侯淵をかたわらに侍(はべ)らせ、羌族を威圧したという。しかし、一方で夏侯淵は、「司令官は、ときには臆病さも必要だ」と、その猪突猛進ぶりを曹操から戒められていた。曹操が心配したとおり、劉備(りゅうび)の武将である黄忠(こうちゅう)に、定軍山(ていぐんざん)で斬(き)られ、漢中(かんちゅう)を失った。わずか400の兵を率いて逆茂木(さかもぎ)の補修に赴き、奇襲を受けたのである。曹操は、「指揮官は自重して、自ら武器をとって戦うことも慎むべきものである。まして、逆茂木の修理など、指揮官のすることではない」と、その死を悼(いた)んだ。

[渡邉義浩]

『渡邉義浩著『「三国志」武将34選』(PHP文庫)』

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