外桜田御門跡(読み)そとさくらだごもんあと

日本歴史地名大系 「外桜田御門跡」の解説

外桜田御門跡
そとさくらだごもんあと

[現在地名]千代田区皇居外苑

外桜田そとさくらだ霞ヶ関かすみがせき方面と内桜田うちさくらだ西丸下にしのまるしたを結ぶ江戸城内郭門で、内桜田御門に対して外桜田御門とよばれた。天正一八年(一五九〇)徳川家康の江戸入部時、すでに扉のない大木戸があり小田原おだわら御門とよばれていたといい(霊巌夜話)、また寛永江戸図には小田原口とある。この辺りがかつて桜田郷とよばれたのにちなみ、のちに外桜田御門と名付けられた。枡形は元和六年(一六二〇)修築。明暦三年(一六五七)大火焼失、万治三年(一六六〇)再建、寛文三年(一六六三)には修理が行われ、享保一五年(一七三〇)に改築された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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