多功城跡(読み)たこうじようあと

日本歴史地名大系 「多功城跡」の解説

多功城跡
たこうじようあと

[現在地名]上三川町多功 城ノ内

川西岸の段丘状台地縁部にある。宝治二年(一二四八)宇都宮頼綱の四男宗朝の築城と伝え、宗朝は多功氏の祖となった。当城は上三川城とともに、宇都宮城の南方防備のための重要な位置を占めたが、慶長二年(一五九七)の宇都宮氏の改易に伴い多功氏も滅亡、廃城となった。現在の城跡は山林・畑・宅地となり、本丸跡の北側と西側に土塁と濠、東側に土塁の一部を残すのみである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む