日本歴史地名大系 「多布郷」の解説 多布郷とうごう 福岡県:築上郡大平村多布郷古代の上毛(かみつみけ)郡多布郷(和名抄)を継承した中世郷。郷域は現上唐原(かみとうばる)・下唐原一帯と推定される。当郷には宇佐宮楽所検校の丹波(薬丸)氏が勢力を張っていた。正応六年(一二九三)七月一〇日の丹波有光文書紛失状(薬丸文書/鎌倉遺文二四、以下すべて同文書)によれば、かつて丹波有則が宇佐宮伶人として公家から当地に差下され、有則の妻の私領を歌免田として宇佐宮に申請し、相伝知行してきたという。 多布郷とうごう 福岡県:豊前国上毛郡多布郷「和名抄」諸本とも文字の異同はなく、訓を欠く。大宝二年(七〇二)の豊前国上三毛郡戸籍(正倉院文書/大日本古文書(編年)一)にみえる「塔里」がのちの多布郷である。同戸籍には秦部・塔勝を姓とする者が多く、塔勝は塔里を根拠とする有力者であろう。現豊前市塔田(とうだ)が遺称地と考えられ、塔田には条里遺構が残る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by