日本歴史地名大系 「上毛郡」の解説
上毛郡
こうげぐん
- 福岡県:豊前国
- 上毛郡
〔古代〕
上毛郡を「和名抄」のうち東急本・元和古活字本は「加牟豆美介」、名博本は「カンツミケ」と訓じており、「延喜式」民部上の傍訓は「カムツミケ」と記している。大宝二年(七〇二)の豊前国戸籍(正倉院文書/大日本古文書(編年)一)に「上三毛郡」の「塔里」と「加自久也里」とあり、これが郡名の初見である。「日本書紀」景行天皇一二年九月五日条に「耳垂と曰ふ。残ひ賊り、貪り婪きて、屡人民を略む。是御木木、此をば開と云ふ。の川上に居り」とあり、「御木」(みけ)に「耳垂」とよばれる勢力があった。この「御木」は上毛郡・下毛郡であろう。「筑後国風土記」逸文(釈日本紀)によれば、継体天皇二一年から翌年にかけての磐井の乱後、磐井は独り「豊前国上膳県」に逃れたというが、上膳県は当郡であろう。現太宰府市の観世音寺にある七世紀末から八世紀初頭のものとされる梵鐘(国宝)にみえる「上三毛」は当郡をさすと考えられる。「和名抄」には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報