多幸山(読み)たこうやま

日本歴史地名大系 「多幸山」の解説

多幸山
たこうやま

読谷村と北の恩納(おんな)村山田(やまだ)の間にある標高七〇メートル前後の丘陵状の山。孤立した山ではなく、丘陵の先端部が切立った崖状地形になったもの。一帯は琉球松が繁茂し、東側を小河川が北へ流れ深い谷をなす。第四紀の琉球石灰岩からなる。沖縄島は当山一帯を境に地質・地形などの面で南北に二分される。近世の主要街道の一本である西海道が通り、当地は同海道の難所の一つであったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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