多柄村(読み)たからむら

日本歴史地名大系 「多柄村」の解説

多柄村
たからむら

[現在地名]竹富町上原(うえはら)

上原(ういばる)村の小村。浦内(うらうち)村の北、西表(いりおもて)島北西端の宇那利(うなり)崎付近にあった村。雍正一二年(一七三四)以前は干立(ふだてい)村の東にあったといわれ、正保国絵図にも浦内川河口左岸に「たから村」と記載される。河口寄りの海岸地帯に「多嘉良」の地名が残り、浦内(うらうち)橋と干立(ほしたて)集落の中間付近に集落遺跡である多嘉良(たから)遺跡がある。両島絵図帳によると高六三石余で、入表(いりむてい)間切に属する。崇禎元年(一六二八)の三間切制移行時の書上(八重山島年来記)に村名がなく、大浜(ほーま)間切西表(いりむてい)村に含まれたとみられ、康熙五二年(一七一三)の「琉球国由来記」にも多柄(たから)御嶽は西表村にあって、「神名、嶽名同。御イベ名、渡リ神通リ神」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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