日本歴史地名大系 「上原村」の解説
上原村
ういばるむら
近世初頭、船浦湾から東には
元来上原は船浦湾の北西にある
上原村
うえはらむら
- 長野県:茅野市
- 上原村
村名としての初見は文禄四年(一五九五)四月のあきうみのおさめ覚(「海年貢秋納書上案」花岡文書)に「仁斗 上原村」とある。上原は中世初期以来、諏訪社上社大祝の支族上原氏の支配下にあり、建武二年(一三三五)二月の大祝職位事書に「上原神主 白米三升 二百文」とあり、上原
上原村
うえばらむら
上原村
かみのはるむら
上原村
かみはらむら
- 広島県:庄原市
- 上原村
中世には
上原村
かんばらむら
- 京都府:綾部市
- 上原村
上原村
いーばるむら
上原村
うわはらむら
上原村
うわばらむら
上原村
うえはらむら
東・南・北の三方を山で囲まれる村で、西方は
元和五年(一六一九)の安芸国知行帳では、高一一八石八斗八升三合を記すが、山麓の開拓が進み、寛永一五年(一六三八)の地詰で一六一石一斗(郡中国郡志)、正徳四年(一七一四)の地詰で一六九石三斗二升五合になり(同書)、「芸藩通志」もこの高を踏襲している。
上原村
かんばらむら
- 岡山県:総社市
- 上原村
上原村
かみはらむら
上原村
かんばらむら
上原村
うえはらむら
上原村
かみはらむら
上原村
かんばらむら
上原村
うえのはらむら
北は
上原村
うわはらむら
上原村
うわはらむら
上原村
かんばらむら
上原村
かんばらむら
上原村
かみはらむら
上原村
うわばらむら
上原村
かんばらむら
上原村
かんばるむら
上原村
うわばるむら
上原村
うえはらむら
- 千葉県:市原市
- 上原村
上原村
かみはらむら
- 新潟県:柏崎市
- 上原村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報