日本歴史地名大系 「多棚釜村」の解説 多棚釜村たたなかまむら 兵庫県:多可郡加美町多棚釜村[現在地名]加美町棚釜(たなかま)多田(ただ)村の北、杉原(すぎはら)川の支流多田川中流域に位置する。古くは多田(ただ)ノ中間(なかま)村・多田中間(ただなかま)村と称し、南の多田村の仲間村であるという意味で、村内の勝浦(かつうら)銅山のたたら師が居住していたことから名付けられたと伝える。慶長一五年(一六一〇)の多田中間村検地帳(棚釜区有文書)によると田方一町九反余、畑・居屋敷三町六反余。慶長国絵図には中間村と記載される。正保郷帳では「多田ノ」と肩書されて中間村とみえ、田方二七石余・畑方一四石余、山役があり、幕府領。延宝五年(一六七七)の検地帳(棚釜区有文書)によれば高四五石余・反別七町七反余。天保郷帳では古くは多田中間村と肩書されて多棚釜村がみえ、高四五石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by