勢和(読み)せいわ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「勢和」の意味・わかりやすい解説

勢和
せいわ

三重県中部、多気郡(たきぐん)にあった旧村名(勢和村(むら))。現在は多気町の西部を占める地区。旧勢和村は1955年(昭和30)丹生(にゅう)、五ヶ谷(ごかだに)の2村が合併して成立。このとき、公募によって名称を決めた。2006年(平成18)多気町に合併。櫛田川(くしだがわ)中流右岸の農山村で、西半部は台高(だいこう)山脈支脈山地であるが、東部は平坦(へいたん)地が開け集落が点在する。JR紀勢本線(最寄駅は大台町栃原(とちはら)駅)と国道42号が南東端をかすめ、368号が通じる。1990年には伊勢自動車道(いせじどうしゃどう)の勢和多気インターチェンジが開設され、2006年の紀勢自動車道開通に伴い両道を結ぶ勢和多気ジャンクションとなった。米作を中心に茶、野菜などが生産されている。丹生は伊勢水銀の産地として平安時代から知られた。神宮寺丹生大師)は空海の師の勤操(ごんそう)僧正開基。櫛田川沿岸は香肌(かはだ)峡県立自然公園区域でキャンプ場などがある。

[伊藤達雄]

『『勢和村史』全3巻(1999~2001・勢和村)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「勢和」の意味・わかりやすい解説

勢和
せいわ

三重県中部,多気町西部の旧村域。櫛田川中流域にある。 1955年五ヶ谷村と丹生村合体,公募により勢和村となる。 2006年多気町と合体。北東部の丹生は奈良時代に水銀鉱山が開かれたところで,伊勢水銀として知られ,江戸時代まで盛況が続いた。丹生大師神宮寺の境内にその面影が偲ばれる。鉱山は小規模ながら 1974年まで存続。 1973年頃から木材加工,コンクリートの工場が立地。北半部は香肌峡県立自然公園に属する。

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改訂新版 世界大百科事典 「勢和」の意味・わかりやすい解説

勢和 (せいわ)

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