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多治比三宅麻呂 たじひの みやけまろ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

多治比三宅麻呂 たじひの-みやけまろ

?-? 飛鳥(あすか)-奈良時代の官吏。
東山道巡察使,催鋳銭司(さいじゅせんし),造雑物法用司などを歴任,霊亀(れいき)元年(715)左大弁にすすむ。養老5年正四位上となる。6年謀反を誣告(ぶこく)したとして斬刑(ざんけい)を宣せられたが,皇太子(のちの聖武天皇)の奏によって減刑されて伊豆(いず)に流された。

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朝日日本歴史人物事典の解説

多治比三宅麻呂

生年:生没年不詳
8世紀初に活躍した官人。東山道巡察使,催鋳銭司,造雑物法用司などを歴任し,左中弁,左大弁として太政官の政務を担った。養老6(722)年1月,謀反を誣告したとして斬刑が決定したが,皇太子首皇子(のちの聖武天皇)の奏により死一等を減じ,伊豆島(伊豆の大島か)に配流された。

(森公章)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の多治比三宅麻呂の言及

【奈良時代】より

… しかしその藤原不比等が720年に死去すると,直ちに《日本書紀》撰進の大任を果たしたばかりの舎人(とねり)親王が知太政官事に,新田部(にいたべ)親王が知五衛及授刀舎人事に就任,また翌年には長屋王(父は高市皇子)が右大臣に昇進して,天武系皇親が新政権の中核となり,政局は大きく転換した。時も時,元明太上天皇が病死,また多治比三宅麻呂と穂積老が謀反誣告と乗輿指斥の罪で配流される事件が起こって不穏な情勢となったが,間もなく724年(神亀1)には首皇子が聖武天皇として即位し,ついで安宿媛との間にはじめて皇子(基王とも伝える)が誕生,直ちに立太子された。ところがその皇太子は生後1年で夭死し,皮肉にも同じ年聖武天皇のもう一人の妃県犬養広刀自(ひろとじ)に安積(あさか)親王が生まれた。…

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