多珂庄(読み)たかのしよう

日本歴史地名大系 「多珂庄」の解説

多珂庄
たかのしよう

中世の私称もしくは俗称の荘名で、その地域は旧多賀郡全域(現多賀郡十王町・高萩市・北茨城市と日立市の北部)に及ぶと考えられる。鎌倉時代の史料呼称はみえず、観応三年(一三五二)七月二〇日の大塚弥次郎宛御教書(大塚文書)に「常陸国多珂庄大塚上下内一分庶子名主職事、被直于地頭職、可充給御下文之由所望云々、為軍忠仁之由、佐竹上総入道々源執申之上者、為地頭職不可有知行相違之状如件」とあるのが早い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

半夏ともいう。七十二候の一つで,本来は夏至後 10日目から小暑の前日までをいったが,現行暦では太陽の黄経が 100°に達する日 (7月1日か2日) を半夏生とし,雑節の一つとして記載している。この頃半...

半夏生の用語解説を読む