多賀大明神跡(読み)たがだいみようじんあと

日本歴史地名大系 「多賀大明神跡」の解説

多賀大明神跡
たがだいみようじんあと

[現在地名]盛岡市清水町

下河原しもがわらの北西部に鎮座し、祭神伊弉諾尊伊弉冊尊神主は山田丹後(盛岡砂子・元文城下図)。「御領分社堂」に「多賀大明神社 二間ニ三間茅葺 吉田家社家山田伊勢守 拝殿 三間四面同断 幣殿 二間三間半こけら葺」と記され、享保年中(一七一六―三六)元餌差もとえさし小路に社地を拝領して講衆らが社を建立、元文年中(一七三六―四一)遷宮を行ったとある。一説には、元文二年祠官の山田氏が勧請免許を願出て、盛岡藩八代藩主南部利視から当地を拝領、三人扶持の寄付を受けたともいう(盛岡砂子)。なお、別当山田丹後の息子は嘉永二年(一八四九)一四代藩主南部利義の退隠事件に連座し処罰されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む