日本歴史地名大系 「多賀大明神跡」の解説 多賀大明神跡たがだいみようじんあと 岩手県:盛岡市盛岡城下下河原多賀大明神跡[現在地名]盛岡市清水町下河原(しもがわら)の北西部に鎮座し、祭神は伊弉諾尊・伊弉冊尊、神主は山田丹後(盛岡砂子・元文城下図)。「御領分社堂」に「多賀大明神社 二間ニ三間茅葺 吉田家社家山田伊勢守 拝殿 三間四面同断 幣殿 二間三間半こけら葺」と記され、享保年中(一七一六―三六)に元餌差(もとえさし)小路に社地を拝領して講衆らが社を建立、元文年中(一七三六―四一)遷宮を行ったとある。一説には、元文二年祠官の山田氏が勧請免許を願出て、盛岡藩八代藩主南部利視から当地を拝領、三人扶持の寄付を受けたともいう(盛岡砂子)。なお、別当山田丹後の息子は嘉永二年(一八四九)一四代藩主南部利義の退隠事件に連座し処罰されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by