日本大百科全書(ニッポニカ) 「夢巌祖応」の意味・わかりやすい解説
夢巌祖応
むがんそおう
(?―1374)
南北朝時代の臨済(りんざい)宗聖一(しょういち)派の僧。出雲(いずも)(島根県)の人。京都東福寺の潜渓処謙(せんけいしょけん)(?―1330)に師事し蔵主(ぞうす)に昇任したが、郷里に帰って門を閉じ、外学(げがく)に志し韜晦(とうかい)すること30年に及んだ。1369年(正平24・応安2)ふたたび京都に出て『孟子(もうし)』を講じ、同年10月東福寺40世に請(しょう)された。のち、潜渓の塔所(たっしょ)本成(ほんじょう)寺2世の塔主(たっす)となり、夢巌の講義を聞く者が門前にあふれたという。1374年11月2日示寂。大智円応(だいちえんのう)禅師と諡(おくりな)された。門生に岐陽方秀(きようほうしゅう)、東漸健易(とうぜんけんえき)(1344―1423)、惟肖得巌(いしょうとくがん)らの五山学芸僧が多数いる。語録『大智円応禅師語録』2巻、『旱霖(かんりん)集』1巻がある。
[石川力山 2017年10月19日]