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惟肖得巌 いしょう とくがん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

惟肖得巌 いしょう-とくがん

1360-1437 南北朝-室町時代の僧。
延文5=正平(しょうへい)15年生まれ。備後(びんご)(広島県)の人。臨済(りんざい)宗。草堂得芳の法をつぐ。応永18年(1411)将軍足利義持の命で相国寺で学芸をおしえ,のち天竜寺,南禅寺などの住持をつとめた。絶海中津(ぜっかい-ちゅうしん),義堂周信,蔵海性珍(ぞうかい-しょうちん)にまなび,五山文学者としても知られる。永享9年4月20日死去。78歳。別号に蕉雪,山陽備人など。著作に「東海瓊華(けいか)集」。

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世界大百科事典 第2版の解説

いしょうとくがん【惟肖得巌】

1360‐1437(正平15∥延文5‐永享9)
室町時代臨済宗燄慧(えんね)派の禅僧。五山文学僧。備後国護国寺で,明極楚俊(みんきそしゆん)の直弟草堂得芳の弟子となり,16歳で南禅寺に学び,26歳で摂津有馬の長楽寺に住した。のち諸山の摂津栖賢寺,十刹の京都真如寺を経て,五山の万寿寺・天竜寺・南禅寺に昇り,南禅寺内少林院双桂軒に隠棲した。絶海中津・蔵海性珍らに詩文の薫陶をうけ,博識,反骨の人で,将軍足利義持と学芸趣味を共有する守護大名・五山僧らの友社の主要人物でもあった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

惟肖得巌
いしょうとくがん
(1360―1437)

室町中期の臨済宗の僧で、五山文学の詩文に優れる。蕉雪(しょうせつ)と号す。備後(びんご)(広島県)の人。南禅寺少林院で草堂得芳(そうどうとくほう)に参じて法を嗣(つ)ぎ、ついで蔵海性珍(ぞうかいせいちん)、夢巌祖応(むがんそおう)、絶海中津(ぜっかいちゅうしん)、子晋明魏(ししんみょうぎ)に歴参した。とくに中津からは四六文(しろくぶん)の作法を学び、明魏からは『荘子』の講を聞いた。京都の万寿寺、天竜寺、南禅寺に住し、また足利義持(あしかがよしもち)に迎えられて相国寺薀真軒(しょうこくじうんしんけん)において子弟の文学的教育にあたった。つねに東坡(とうば)(蘇軾(そしょく))の詩と『荘子』を講じ、名文家として知られた。晩年は南禅寺雙桂軒(そうけいけん)に退隠、永享(えいきょう)9年4月20日没。著書に語録詩文集『東海華集(とうかいけいかしゅう)』などがある。[藤岡大拙]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の惟肖得巌の言及

【漢詩文】より

…その後義堂周信,絶海中津も和様に流れることきわめて少なかった。 室町時代に入っても惟肖得巌(いしようとくがん),天章澄彧(てんしようちよういく)などは漢風の作品を生まんと努めたし,和様が加わっても,骨格が漢文本来の文脈をくずさなかった作者に,瑞渓周鳳(ずいけいしゆうほう),横川景三(おうせんけいざん)があった。室町時代後半には五山僧の文学創作欲は衰え,代わって中国儒典の研究熱をたかめ,この方面の学者,たとえば桂庵玄樹(けいあんげんじゆ),文之玄昌(ぶんしげんしよう)(南浦)などが,かたわら詩文を製した。…

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