大下条村(読み)おおしもじようむら

日本歴史地名大系 「大下条村」の解説

大下条村
おおしもじようむら

[現在地名]敷島町大下条

長塚ながつか村の西にある。戦国期の大下条郷の遺称地。近世に大下条村・中下条村島上条しまかみじよう村は合せて島三条しまさんじようとよばれ、「高燥沃土にして水乏しからず」という土地柄であった。村内の西に百々河どんどんがわという荒れ地があり、荒川の旧河道という(甲斐国志)。村の南部にある枝郷の名取なとり新田(現竜王町)は寛永年中(一六二四―四四)名取但馬が開墾したという(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大下条村の言及

【阿南[町]】より

…長野県南部,下伊那郡の町。1957年大下条,和合,旦開(あさげ)の3村が合体,町制。59年富草村を合体。人口6565(1995)。天竜川中流西岸,木曾山脈南東端に位置し,南端は愛知県に接する。町域の大部分が山林・原野で占められ,耕地は天竜川支流の和合川沿いにわずかに散在する。農林業を主体に営まれているが,農業人口の減少や兼業化が進むなかで,近年工業の導入が図られている。民俗芸能の宝庫で新野の雪祭(重要無形民俗文化財),盆踊をはじめとして,和合の念仏踊,早稲田人形などが伝わる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」