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大中臣諸魚 おおなかとみの もろな

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大中臣諸魚 おおなかとみの-もろな

743-797 奈良-平安時代前期の公卿(くぎょう),神職。
天平(てんぴょう)15年生まれ。大中臣清麻呂の子。衛門佐(えもんのすけ),中衛少将などをへて,延暦(えんりゃく)8年神祇伯となる。9年参議。近衛大将などをかねた。正四位上。延暦16年2月21日死去。55歳。名は「もろうお」「もろいお」ともよむ。

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朝日日本歴史人物事典の解説

大中臣諸魚

没年:延暦16.2.21(797.3.23)
生年:天平15(743)
奈良末・平安初期の官人。右大臣清麻呂と多治比子姉の子。はじめの姓は中臣であったが,神護景雲3(769)年6月に父が大中臣を賜ったときに改姓。光仁・桓武天皇時代,中衛少将,右衛士佐など主に武官として活躍する一方,譜代の職である神祇関係では延暦8(789)年3月,兄の子老(同年1月没)の後任として神祇伯に就任,兼務している。翌年参議となる。この間長岡京造営を担当し,地相調査を命じられた兄子老に続き,造宮使に任じられているが武官の経験を買われたものか。『日本後紀』での評価は,琴歌を好むほかは才能がなく,ただ財貨を貪るだけで人々から蔑視されたと手厳しい。昇進は親の七光か。死ぬまで朝務に忠勤したという父とは対照的。

(瀧浪貞子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

おおなかとみのもろな【大中臣諸魚】

743‐797(天平15‐延暦16)
奈良後期から平安初期の貴族。父は清麻呂。少納言,山背守,近江守,左兵衛督右京大夫,神祇伯,近衛大将などの顕職を歴任。朝政に参与する。このほか,造長岡宮使となり遷都のとき松尾・乙訓2神に叙位する勅使や,794年の蝦夷征討時の伊勢奉幣使の任にあたる。没時の位階は正四位上。琴歌を好み,他に才能なく,財貨を貪り,産業を営み求めたと評されている。【梅村 喬】

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