大久保忠佐(読み)おおくぼ ただすけ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大久保忠佐」の解説

大久保忠佐 おおくぼ-ただすけ

1537-1613 織豊-江戸時代前期の武将,大名
天文(てんぶん)6年生まれ。大久保忠員(ただかず)の次男徳川家康につかえ,三河(愛知県)の一向一揆(いっき)や,長篠(ながしの),長久手などの戦い戦功をたてる。関ケ原の戦いのあと,駿河(するが)(静岡県)沼津城主となった。2万石。慶長18年9月27日死去。77歳。通称は弥八郎,治右衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の大久保忠佐の言及

【大久保彦左衛門】より

…江戸初期の旗本。通称平助,のち彦左衛門。初名忠雄のち忠教(ただたか)。16歳のとき徳川家康に仕え,諸合戦では長兄忠世に属し奮戦した。彦左衛門は終始,忠世・忠隣(ただちか)父子に従属し,一個の軍団を率いる部将ではなかった。関東入部後,忠隣の所領武蔵国埼玉郡2000石を知行。彦左衛門の人物については次の2例を示す。兄忠佐が無嗣のため沼津城2万石を彦左衛門に継がせようとしたところ,自身の軍功で得た領知でないからと辞退したという。…

※「大久保忠佐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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