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大久保忠朝 おおくぼ ただとも

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大久保忠朝 おおくぼ-ただとも

1632-1712 江戸時代前期の大名。
寛永9年11月13日生まれ。従兄大久保忠職(ただもと)の養子となり,寛文10年肥前唐津(からつ)藩(佐賀県)藩主大久保家2代。徳川家光に近侍し,延宝5年老中。翌年下総(しもうさ)佐倉(千葉県)に転封(てんぽう)。貞享(じょうきょう)3年相模(さがみ)(神奈川県)小田原藩主大久保家第2次初代となる。10万3000石。正徳(しょうとく)2年9月25日死去。81歳。通称は木工。

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世界大百科事典内の大久保忠朝の言及

【大久保氏】より

…江戸時代の譜代大名。はじめ宇都宮氏,のち宇都,宇津と称し,松平氏に仕えた。宇津忠茂の三男忠員(ただかず)の代に大久保と改める。2代忠世が徳川家康の下で武功をあげ,1590年(天正18)北条氏滅亡後小田原城主(4万5000石)となる。3代忠隣(ただちか)(6万5000石)は将軍秀忠の老中となったが1614年(慶長19)改易。その子忠常は武蔵国騎西2万石を領したが早世しており,孫の忠職は蟄居ののち許されて32年(寛永9)美濃国加納城主(5万石)となり,播磨国明石(7万石),肥前国唐津(8万3000石)に転じた。…

【佐倉藩】より

…これは53年(承応2)のことらしい。60年(万治3)正信改易後,61年(寛文1)松平乗久(6万石),78年(延宝6)老中大久保忠朝,86年(貞享3)戸田忠昌(6万1000石),1701年(元禄14)老中稲葉正往(10万2000石),23年(享保8)老中松平乗邑(のりさと)(6万石),46年(延享3)老中堀田正亮(10万石,のち1万石加増)が入封するなど,佐倉は南関東の要地として歴代藩主の中には老中となった者が多い。 堀田正亮はさきに改易された正信の弟正俊の孫で,以後堀田氏はここに定着した。…

※「大久保忠朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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